こんにちはnicoです。
2012年に現役を引退してから4年が経つ、ゴジラこと「松井秀喜」氏。
引退後、毎年の様に指導者として日本プロ野球界への復帰を期待する声が聞かれていますが、果たしてその辺りどうなんでしょうか。
その鍵となる奥様や現在の住まいなどと共にチェックしてみたいと思います。
怪我に悩まされた選手生活晩年
先ずは今更ではありますが、改めて松井秀喜氏のプロフィールを
松井 秀喜(まつい ひでき)
国籍:日本
出身地:石川県能美郡根上町(現:能美市)
生年月日:1974年6月12日(42歳)
身長・体重:188 cm・95.3 kg
投球・打席:右投・左打
ポジション:外野手
プロ入り:1992年 ドラフト1位
初出場:
NPB / 1993年5月1日
MLB / 2003年3月31日
最終出場:
NPB / 2002年10月30日
MLB / 2012年7月22日
経歴:
星稜高等学校
読売ジャイアンツ (1993 – 2002)
ニューヨーク・ヤンキース (2003 – 2009)
ロサンゼルス・エンゼルス (2010)
オークランド・アスレチックス (2011)
タンパベイ・レイズ (2012)
松井秀喜氏は、日本プロ野球の読売ジャイアンツで10年プレイし、FA(フリーエージェント)権を獲得して、アメリカ・メジャーリーグの「ニューヨーク・ヤンキース」に移籍しました。
ジャイアンツ関係者から猛烈な残留要請を受けながらも移籍を決意し、記者会見で「今は裏切り者と言われても仕方ないが」などと、一部のファンの気持ちも汲み取って、自分自身を「裏切り者」と話すなど、晴れやかな席でありながら笑顔のない記者会見だったのは今でも記憶に残っています。
ヤンキースに移籍してからは、その成績と共に、穏やかな人柄もあって、ニューヨークでもチームメイトや多くのファンに愛されたのは記憶に新しいですね。
ヤンキースに移籍してからも、ジャイアンツ時代からの連続試合出場を更新し続けるなど、怪我に無縁な活躍をしていましたが、2006年に左手首を骨折して連続試合出場記録が途切れてからは、肉離れや右膝の手術、それを庇った左膝の痛みなど、次々と故障に苦しみ、痛みとの戦いを繰り広げながらの選手生活となりました。
そんな松井氏の選手生活の中での1番のハイライトは、やはり2009年のワールドシリーズ優勝と共に獲得したMVPでしょう。
ただ、残念ながらその年にヤンキースを退団となり、その後はエンゼルス、アスレチックス、レイズと1年ごとにチームを渡り歩くこととなりました。
日本では、最後に日本のプロ野球界に復帰を望む声も多くありましたが、本人曰く「期待に応える活躍をする自信が無い」として、そのまま引退となってしまいました。
2008年に一般人の女性と結婚
松井秀喜氏は、ヤンキース時代も、同い年のチームメイトであるデレク・ジーターと共に独身を通していましたが、2008年に結婚をしました。
結婚相手は「中山愛」さんと言う、富山県出身の当時25歳の女性で、結婚の条件として「マスコミには出ない、個人情報を流さない」事を松井氏と約束したと言われています。
それは徹底されていて、家族そろっての晴れの舞台となる、2009年のワールドシリーズ優勝のパレードの際も、他の選手は彼女や奥様と参加した中、松井氏は1人でパレードカーに乗って参加していました。
また、食事など外出する際も2人一緒に出かけずに、現地で待ち合わせたり、松井氏の両親との一緒の行動も避けるなど妥協せず、プライベート情報をいっさい流さない様にしています。
この様に、奥様の情報が全く出てこないことから、中には「松井氏は本当は結婚していないのでは?」などと疑う噂も出回ったりしているのを聞いたこともありますね。
そんな中「この女性が松井氏の奥様なのでは?」と言われる画像があります。
結婚の記者会見で公開した奥様の似顔絵と比べても似ている感じがしますし、信憑性は高そうな感じがしますがどうでしょうか。
2013年には第一子となる男の子か生まれたとの事で、現在は家族三人での暮らしを満喫しているのでしょうね。
ニューヨークの住まいはどこ?
松井秀喜氏は現在でもニューヨークに住まいを構えている様ですが、一体どんな住まいなのでしょうか。
2003年にニューヨーク・ヤンキースに移籍した当時は賃貸でマンションに住んでいた様ですが、2005年にマンハッタンの東側、イーストリバーに面して建つ72階建ての超高層コンドミニアム「トランプ・ワールドタワー」の52階の部屋を315万7900ドル、当時のレートで約3億5000万円で購入しています。
こちらのビルには、当時チームメイトのデレク・ジーター氏も住んでいた様で、良く部屋を行き来していた様です。
因みに現在、ニューヨーク・ヤンキースのエースとして活躍している、田中将大・里田まい夫妻がこのコンドミニアムに住んでいるとされていて、その賃貸料が月額6万ドル(約620万円)と言われて話題となりましたね。
その後、2008年の結婚がキッカケとなったのかは分かりませんが、2009年に、それまでのイーストリバーに面するマンハッタン東側に建つトランプ・ワールドタワーとは、マンハッタンの反対岸となる、「アッパーウエスト」と言われる、ハドソン川に面するマンハッタン西側に建つ「ヘリテイジ・アット・トランププレイス」と言うマンションの、「ペントハウス」と呼ばれる最上階の部屋を1050万ドル(約10億円!)で新たに購入しました。
こちらの部屋は床面積が約75坪の3ベッドルームとなっていて天井も高く、窓からはハドソン川の向こうにニュージャージーの街並みが一望できるそうです。
上の映像は、松井秀喜氏の住む物件そのものではありませんが、同マンションの他のペントハウスを紹介したものとなる様です。
凄いですね!凄すぎますね!
そう言えば、上記の映像や、こう言った高額住宅物件の画像などを見ると、どれも素晴らしい家具などでセンス良くインテリアの装飾がされていますが、アメリカのこう言った高級住宅って、そう言うインテリア製品も込み込みの金額なんしょうかね。
そうでなければ、インテリアコーディネーターと呼ばれる人に全部丸投げでお任せしたりするんでしょうか。
しかしまあ、こんな素晴らしい住まいがあって、プライバシーもしっかり確保されているニューヨークの生活は、きっととても快適なんでしょうね。
現在の仕事は?日本に復帰は?
松井秀喜氏は、2015年に1年契約でニューヨーク・ヤンキースのGM(ゼネラルマネージャー)特別アドバイザーと言う役職に付き、更に1年継続となり、2016年も同じ役職を務めました。
ただ、2017年の去就についてはまだ何も発表はされていない状態です。
日本では、そろそろ日本球界に復帰して、指導者としての活躍を願う声が聞こえて来たりしていますが、どうなんでしょうかね?
現状の、奥様とお子さんの状況を考えると、もし日本球界に復帰となった場合は、たぶん松井秀喜氏1人、単身赴任といった形になる可能性が高そうです。
現在の日本球界で言えば、先日引退を発表した広島カープの黒田博樹投手や、福岡ソフトバンク・ホークスの松坂大輔投手が、現在家族はそれぞれロサンゼルスやボストンに住み、単身赴任という形で日本に滞在しています。
松井氏の性格や、現在3歳と思われるお子さんの年齢などから考えても、その様な形で家族と離れる状態は好まないのではないでしょうかね。
そう考えると、これからも当分の間と言うか、これからもずっとニューヨークに住み、時々日本に来てみたり、アメリカでヤンキースに関わる仕事をしたりしていくのではないでしょうか。
人柄の良さから、ニューヨークでの人望も厚い松井氏ですから、もしかしたら、いずれヤンキースのコーチ陣に加わり、行く行くはヤンキースで監督を務めるなんて事もあるかも知れませんね。
そう考えると、松井氏の日本球界復帰は当分の間望めそうもないと言って良いのかと思いますね。
まとめ
松井秀喜氏は選手生活晩年には多くの怪我に悩まされ、満身創痍の状態で日本球界復帰も辞退して引退を決めた。
2008年に36歳で独身生活にピリオドを打ち、愛さんと言う富山県出身の一般人女性と結婚した。
2013年には第一子となる男の子が生まれた。
2005年に住まいとしてマンハッタン東側に建つ「トランプ・ワールドタワー」の52階の部屋を315万7900ドル、当時のレートで約3億5000万円で購入した。
2009年には新たにマンハッタン西側に建つ「ヘリテイジ・アット・トランププレイス」の最上階ペントハウスを1000万ドル(約10億円)で購入し、現在はこちらに家族3年で住んでいる模様。
2015年からヤンキースのGM特別アドバイザーを2年間勤めている。
2017年以降の去就はまだ分からないが、当分の間日本球界に復帰する事は無さそう。
如何でしたでしょうか。
引退後も、日本絡みとは関係なくメジャーリーグ球団から役職を依頼される日本人選手ってあまり聞かないですよね。
今後も松井秀喜氏の動向に注目ですね。
という事で今回は元ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜氏の現在と今後についてチェックしてみました。
本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。