こんにちはnicoです。
アメリカMLB「ボストン・レッドソックス」の「田澤純一」投手が、イチロー選手が所属する「マイアミ・マーリンズ」に移籍しましたね。
今回は、そんな田澤純一投手の移籍に関する事と、彼女や結婚についてチェックしてみたいと思います。
日本のプロ野球を経由せずにメジャー挑戦
ボストン・レッドソックで8年間、中継ぎとして活躍をしてきた「田澤純一」投手。
「上原浩治」投手と共に、2013年ボストン・レッドソックスのワールドシリーズ優勝に大車輪の活躍で貢献した事は記憶に新しいですね。
そんな田澤純一投手のプロフィールを改めて見てみましょう。
田澤 純一(たざわ じゅんいち)
国籍:日本
出身地:神奈川県横浜市神奈川区
生年月日:1986年6月6日(30歳)
身長・体重:180 cm・90 kg
投球・打席:右投・右打
ポジション:投手
プロ入り:2008年 アマチュア・フリーエージェントとしてボストン・レッドソックスと契約
初出場:2009年8月7日
年俸:$3,375,000(2016年)
経歴:
横浜商科大学高等学校
新日本石油ENEOS
ボストン・レッドソックス (2009 – 2016)
田澤純一投手は、社会人野球の新日本石油ENEOS時代に活躍し一躍注目選手となり、2008年秋のNPBプロ野球ドラフト候補と成りました。
しかし田澤純一投手は、アメリカMLBでのプレーを希望し、日本プロ野球の12球団にドラフト指名拒否の表明をした上で「ボストン・レッドソックス」に入団をしました。
当時、日本のプロ野球とアメリカMLBメジャーリーグの間では、お互いの国のドラフト候補選手を勝手に獲得交渉しないと言う「紳士協定」が取り交わされていました。
しかし田澤純一投手の場合は、選手本人の希望と言う事で「職業選択の自由」と言う観点から紳士協定の適用外となったようです。
日本プロ野球機構は、今後同じようなケースが生まれない様に「アマチュア選手が、NPBのドラフトを拒否し、海外球団と選手契約した場合において、当該球団退団後2年間(高卒選手の場合は3年間)の、NPB所属球団との契約を禁止する」と言う新たなルール、いわゆる「田澤ルール」を選手会との話し合い無く、一方的に導入してしまいました。
このルールに関しては、日本プロ野球選手会も廃止を訴えていますし、私もそんな馬鹿げたルールは廃止すべきだと思っていますが、残念ながら現在も廃止されず導入されたままの様です。
メジャー生活8年目にして初めての移籍
そんな田澤純一投手は、レッドソックスで長年、中継ぎ投手として酷使され続けた影響で、2015年・2016年の成績が振るいませんでした。
そんな状況でレッドソックスとの契約が終了し、フリーエージェントとなった田澤純一投手に対し、日本の報道は「来年のメジャー契約は厳しいのでは?」などと厳しい予想を書き立てていました。
しかしいざ蓋を開けてみると、イチロー選手の所属する「マイアミ・マーリンズ」と、なんと2年総額1200万ドル(約14億円)と言う、リリーフ投手としては高い評価を得ての移籍が決まりました。
私も、以前からレッドソックス時代の田澤純一投手に対する球団の金銭的評価が「登板回数などの貢献度に比べて低いのでは?」と感じていましたので、今回の移籍によって正当と思われる評価を得られた事はとても良かったと思います。
移籍実現を後押ししたレジェンド
そんな田澤純一投手の獲得に向けて、マイアミ・マーリンズのフロント陣に後押しをしたのが、今やマーリンズの顔ともなったレジェンド「イチロー」選手との事です。
マーリンズのフロント陣が、田澤純一投手の獲得について事前にイチロー選手に意見を求めたところ「非常にいいピッチャーで、チームの勝利に貢献できる」と答えたと言われており、それがマーリンズが田澤純一投手を獲得する後押しになった様です。
もともと田澤純一投手は、小学生の頃に活躍していたイチロー選手に憧れたのが、野球を始めた理由のひとつと、メジャー挑戦時のインタビューで答えていました。
――野球そのものはイチロー選手に憧れて始めたと聞いています。
「そうですね。その時にイチローさんがすごく打っていたというのもありますし、たまたま僕が通っていた小学校で野球が流行っていたというのもあるんですけど」
出典:ニュースウォーカー
そんな子供の頃からの憧れであったイチロー選手から「チームへの推薦」を受けてチームメイトとなり、来シーズンを迎えることが出来ることになるなんて、とても幸せでしょうね。